Diary  いちごの花・・・・・・Page9「裏布の美学」

今日はのっけから、ちょっと自慢ですが、
私の作るキットは、「裏布がいい」って評判なんです。
まあ、出来れば「裏布が」じゃなくて「裏布も」って言っていただければ有難いのですが(笑)
でも裏布を褒めていただけるのは、うれしいことです。
それは何故かと言うと、
私は、「裏布にこそ、作り手の本当のセンスが表れる」と信じているからです。

よく、「本当にお洒落な人は靴を見ればわかる」と言うではありませんか。
決して最新流行ではないけれど、洋服とマッチしていて、上質で、手入れの行き届いた
いい靴を履いている人。そんな人が本当のおしゃれさん。
もの作りも同じ。
いちばん目に付くところじゃなくて、何かの拍子にチラッと見えるそんな場所、
あえて人目に付かない部分に凝ること。
そこがセンスの見せどころ。

私は、キルトを作る時、表はもちろんですが、裏布を選ぶ時は表以上に悩みますね。
現に、イメージどおりの裏布が見つからずに、3年以上も理想の裏布探しをしている
未完成のベッドカバーもあるほどです。
私が裏布を選ぶ基準は、第一に表の雰囲気に合っていること。
裏とは言え、作品の一部ですからね。
表側がすごく素敵なのに、裏をめくってみて、
いかにも余っていた布を使ってしまいたかったと言わんばかりに、
全然合っていない裏が付いているのを見たその瞬間。
ガックリきます・・・・・表側が素敵だったことも忘れてしまう。
だからこそ、裏は重要なのです。
めくってみた時や、畳んでしまってある時の姿、「うーん。やるね・・・・」と思わせる
そんな裏側であって欲しい!
とはいえ、表のようにきざんで使うわけではない裏布は、
ちょっと個性的で表には使いにくかったような柄や、大きい柄行きで大胆な構成の布など
選択肢は広いです。難しいけれど、選ぶのは楽しい。
とにかく、いいものをつけること。表が負けるほどでもいいかも知れない。

「裏の方がいいね」と言う人がいるかもしれませんが、言わせておきましょう。
それが、『裏布の美学』です!

Diary  いちごの花・・・・・・Page8「新婚旅行の思ひ出」


結婚をしたからといって、別に2人で旅をする必要はなかったけれど、
会社がまとまった休みをくれるめずらしい機会だったので、
やっぱり私たちも行きました、新婚旅行。
行き先はポルトガル。「なんで?」と、同僚や友人に不思議そうに聞かれたけれど
理由は「2人とも行ったことがないから」ということ以外に特になく、なんとなく・・・・・

「着替えは一組でいいからね」と、旅慣れているらしい、結婚相手のその人に言われ
パスポートと飛行機のチケット、少額の現金だけを
その辺の一泊旅行に使うような布のバッグに入れていざ出発!
パリ経由で無事リスボンに到着しました。
そして入国審査。
「観光です」と答えると、写真と顔を見比べたあと、ポンとスタンプを押された私。
後ろを見ると、私の夫が止められている。
メガネをかけたまじめそうなビジネスマンという日本人のイメージからは、
遠くかけ離れた私の夫。
今とは違って、テロを警戒するピリピリムードなど全くないのんびりした時代でしたが、
あれやこれやと質問されている・・・・・
「新婚旅行に来た」と言うと、「ハネムーン?日本人はハネムーンにはパリやローマに
行くんじゃないのか?なぜポルトガルに来た?」などと、余計なことまで言われてる・・・・・
それでも本人はこういうことには慣れっこらしく、
のらりくらりとかたことの英語で受け答えしてる。
結局、人の5倍ぐらいそこで足止めされたあと、ひとりぽつんと待っている私を見て、
仕方が無いという感じで、やっとスタンプが押されたのでした。

さて次は今日の宿さがしです。
まずは街でHOTELやPensao(ペンサオ)の看板をさがし、
中に入って「部屋を見せて下さい」と言う。
宿泊料金と内容を見比べて、気に入れば「泊まります」と言って荷物を置いて街へ。
カフェに入って地図とガイドブックを広げ、見に行く所を決める。
気が向いた方角へ、何の計画性もなく、列車を乗り継いだりタクシーをひろったりしながら
教会や(ポルトガルはカトリックの国です)修道院、
モニュメントやアズレージョ(装飾タイル)の美しい場所などを見て回りました。

着いて2日目、私は髪を切りました。
昔クラスメイトが、中国に一人旅に行った時髪を切ったら、
日本との違いにすごく笑ったという話を聞いてから、
私は初めての国に行くと髪を切ることにしているのです。
その時入ったところは、特にこれといって変わった所はなかったのですが、
とてもレトロな雰囲気でした。
ポルトガルは治安もよく、ヨーロッパの下町といったイメージで、
髪も目もブラウンの人が多く、気おくれすることなく過ごせました。
でも、私たちがポルトガルに魅かれた第一の理由、それはコーヒーの美味しさでした。
私たちは大のコーヒー党。家でも自分の好みの豆を挽いてコーヒーを立てています。
ポルトガルの一般的なコーヒーは「ガラオ」といって、ガラスのコップに入って出てきます。
中身は要するにカフェオレなのですが、白いお皿にのっていて、
小さな紙の袋に入ったお砂糖が2袋と柄の長いスプーンがついています。
周りを見ると、ほとんどの人がその2袋を全部入れて飲んでいる・・・・・これは甘い
・・・・・当然私たちはお砂糖なしで飲みましたが、
苦味の強いコーヒーの味が、本当に美味しかった!
海辺の町ナザレには、気に入って3日ほど滞在しました。
小さな町で半日もあれば見て回れたのですが、
海辺に立ち並ぶみやげもの屋やカフェに入ったり、
岬まで散歩して写真を撮ったり、
のんびり歩き回って、宿に帰ってからはバスルームで洗濯。
東京とは違った時間が、そこには流れていました。
ポルトガル ナザレ
10日間をそんなふうに気ままに過ごし、帰国。
そしてまた成田で入国審査。
当然のことながら、またもや質問攻めです。
「2人で荷物たったこれだけですか?」と、怪訝そうな顔で私たちを見る検査官。
結局普通の人の3倍くらいかかってやっと入国。

帰りの電車の中で、
「荷物これだけですかあ?だって。大きなお世話よね!」と気分を害した私が言うと、
夫になったその人は
窓の外の景色を見ながら、ただ静かに笑ったのでした・・・・・・


Diary  いちごの花・・・・・・Page7「ものを作るって・・・・・」

今回は少し抽象的な話です。

「作ることは自分を表現すること」という言葉を時々耳にしますが
私は、10代20代の若かった頃、この言葉の本当の意味を理解できませんでした。
「自分を表現する」という部分を、「生きること」または「生活すること」に置き換えて
自分なりにその本質がわかるようになったのは、やっとここ10年ぐらいです。
私は美術の大学に進んだので、丁度その頃「自分を表現」しなければならない場面に
数多く出くわしましたが、本当の意味でそれを出来たことは、一度もなかったように思います。
若かった頃の私は、一生懸命「アートを作ろう」としていたのです。
今考えてみれば、作ろうとして作ったアートほど、カッコ悪いものはありません。
アート(芸術)かどうか判断するのは他人で、そんなことはどうでもいいことなのです。
職業として物作りをする時を除いて
純粋に「ものを作る」ことは常に主体的なもので、
他人がどう思うかなんて気にする必要はない。
大切なのは、自分が何を求めているか、
自分が作りたいものは何なのか、ということです。
そこで重要なのは、いったい自分は「どんな人間なのか」ということで、
「自分を知ること」それが表現のはじめの一歩でした。
自分を知り、自分を許し、自分を好きになる。
それが出来て初めて、自分を表現することが出来るようになった気がするのです。

ちょっと抽象的すぎて解りにくいかもしれませんね。
少し身近な例を挙げると・・・・・

私の仕事のなかに、「教える」というのもあるのですが、
実は私は教えてなんかいないのです。
教室でも、
「この部分のここを明るくしてもいいですか?」とか
「ここをこの色にしたいんですけど、いいですか?」といった聞かれ方をする時、
私の答えは常に「イエス」です。
作り手がこうしたいと思ったものが最良であって、それ以外の正解はありません。
作りたいものがすでに決まっている場合、私はそのレールから外れないように
見ていてあげるだけ。私がそれ以上出来ることはありません。
ただ、「この色にしてもいいですか?」の「この色」が本当に求めているものなのか
その人自身がわかっていない、ということが多くあるので、そんな時は
いろいろな角度からそれが解るように仕向けてあげる、ということはあります。

私自身がもの作りをする時、常に心に留めているのは
それが「わたしらしい」ものかどうかということです。
だから、いつも自分に問いかけているのです。「わたしらしさ」っていったい何?って・・・・
そして、それこそが初めに書いた「生きること」「生活すること」だと気付いた・・・・・
わたしらしさは、私そのもの、私の生活そのものなのです。
どんなものを好きなのか、どんなものを嫌いなのか、何をきれいと感じるのか
何を汚いと感じるのか、そういった一つ一つが私の作ったものに表れている。
だからこそ、自分を磨きたいと思う。
理想に一歩でも近づきたいと思う。
ものを作るとそれが出来ているかどうかがよく解るから、
つらい時や、うんざりすることもあるのです。

私が身近な日常品しか作らないのは、そこが一番自分を表現しやすいから。
ファインアート(純粋芸術)を目指した時期もあったけど、私はそこに似合わないと悟ったのです。
若い頃のようにアートを作ろうとは思わない。
ただ、日常品だからこそ感性を研ぎ澄まして、自分らしいものを作ろうと思う。
家の中のちょっとしたものを作るときも、クリエイティビティーを忘れたくない。
そこに自分があるから・・・・・・
繰り返し繰り返し、私はものを作っていくと思う。
そうやって自分を見つめていくのです。


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